2025/07/04 18:08
このブログは
の続きです

…というわけで、僕たちのウェブショップは『BASE』というプラットフォームを使っています。(中略)…これで皆さまにも、送料を気にすることなく、純粋にモノとの出会いを楽しんでいただけるはずです
▼日常に息づく古道具たち
潮州の街をそぞろ歩いていると、ふとした瞬間に思いがけない古道具との出会いがあります。
そもそも僕が心を奪われた古道具とは、一体どんなものなのか?
訪れた家で出されたお茶に添えられていた、どこかキッチュで憎めない茶器。
道ばたで中国のおっさんが腰かけている、妙にフィット感のありそうな古椅子。
果物屋の軒先に無造作に積まれた、年季の入った竹籠。
そして、製茶所の奥で黙々と働く職人の手元にある、100年以上活躍してきたザルや、ブラシの部分がすり減って短くなった、頑丈そうな箒。
意識して街を歩けば、こうした“現役の古道具”に出くわすのは案外たやすい
ただ、かつての私はストリート古道具に対してそこまで熱い視線を送っていませんでした。
「すごいな〜、まだこんなの使ってるんだね」くらいの感覚しかなかった。
でも、ある場面をきっかけに、その見方が大きく変わりました。
▼頼老師のアトリエで見た“生きている道具”
それは毎度おなじみ、潮州朱泥手拉壺の作家である頼通発老師の秘密のアトリエを訪れた時のことです。
アトリエは、中国の伝統的な四合院(しごういん)造りの一角にありました。
てっきり「中には茶壺や美術品が綺麗に陳列されているのだろう」と勝手に想像していた私を迎えたのは、生活のための、そして創作のための、リアルな“道具”の数々でした。
棚には塵をかぶった急須の試作や、使い込まれた茶具、工具。
床の隅には、今にも壊れそうな踏み台、擦り減った木の椅子。
どれもこれも、飾られることを拒むかのように、静かにそこに佇(たたず)んでいました
そして、老師が鳳凰単叢をすする際、いつも使っている茶盤の前に腰を下ろしお茶をいれてくれました。
その時に手渡されたのが、茶卵のように細かな貫入の入った、極薄の茶杯
『これ、いいだろう?貫入は入ってるけど、茶湯にはほとんど悪さしないんだ。全部ろくろ挽きで、ギリギリ重ねられる(スタッキングできる)、よく見ると大きさがちょっとずつ違うんだよ。』
老師はそう言って、にやりと笑いました。
その佇まいと手に馴染む感触、私は一瞬で惚れ込みました。
『これ、欲しい!どこで手に入れたんですか?』と尋ねると、老師は笑いながら収集場所をこっそり教えてくれました。
翌朝、そのまま仕入れ先へ向かったのは言うまでもありません。

▼所有する喜びとは
老師がぽつりと漏らした一言が、今も耳に残っています。
『なんかね、こんなボロボロの茶杯だけど、愛着が湧いてきてさ。高価なもんじゃないかもしれない。でも、高価なものでは代替できない所有する喜びがあるんだよね。』
この言葉は、我々にとって一つの答えでした。
茶葉は消費されて、役目を終えます。
道具は所有することで、日々の中に確かに在り続けてくれる
道具は使い込むほどに、所有する喜びを、そして共に時間を過ごす喜びを、あなたにずっと与え続けてくれます
我々が『脈拍』でお届けしたいのは、まさにこれです。
手に取るたび、見るたび、触れるたびに、記憶や物語が立ち上がってくる——そんな道具には、不思議な力があると考えています
私たちが扱っている古道具も、決して高価なものではありません。
でも、人民の暮らしに寄り添い、使い込まれてきた時間と質量とは性質の異なる重量感が存在します
次はあなたの暮らしの中で、もう一度、物語をはじめてもらえたら嬉しいです
名もなき純朴な人民が、日々の暮らしの中で使ってきた純朴な古道具たち。
その背景にあるささやかなストーリーを、我々の茶旅を通して、皆さまにお伝えできればと思います。

▼いい加減にしなさい、早く具体的に古道具を紹介してよ
という声が聞こえてきそうです。
実はこの古道具たちの画像や情報は毎日一足先に脈拍のInstagramで公開中です
脈拍のInstagramを販売前までにチェックしてくださいね。そしてフォローも宜しくお願いします‼️
頼通発 老師 愛用
それでは2025年7月5日(土曜日)21:00〜の販売開始までもう少しお待ちください
茶樓雨香 店主
