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2025/08/14 12:00


茶樓雨香と脈拍が扱う茶器や茶具には、必ず共通点があります。
それは「美味しいお茶を飲むために生まれた道具」であること。
ただ美しいだけではなく、ただ希少であるだけでもなく、使い続けてこそ真価を発揮する──そんな茶器や茶具を選び抜いています。

▼潮州朱泥手拉壺の作り手・頼通発老師から受けた影響


ご存知の方も多いかもしれませんが、店主である私は、中国・潮州で朱泥手拉壺の名匠、頼通発老師の作る茶壺に深く影響を受けています。
老師はいつも、静かに、しかし力強くこう語ります。

茶壺は工夫茶を飲むための一つの道具であり、それ以上でも、それ以下でもない。
茶器の役目は、最終的に美味しいお茶を飲むこと。
茶器自体の存在が、最終目的になってはいけない。

この言葉を聞くたびに、自分の中で茶器選びの基準が研ぎ澄まされていきます。

茶器は飾って眺めるためだけのものではなく、日々の中で使い、味わい、そして育てていくもの。

だからこそ、茶樓雨香は日本でも「美しくありながら、使うと美味しくお茶が飲める茶器・茶具」を作る作家を探し続けています。


▼美しい茶器の向こう側を覗く


美しい茶器を前にすると、多くの人が「きれいだな」と足を止めます。
しかし、その瞬間に終わってしまう茶器には、私は惹かれません。

我々が求めているのは、その美しさの向こう側──
茶をいれ、香りを感じ、口に含んだときに、茶器の存在が自然と時間に溶け込み、ただ「お茶が美味しい」と感じられる道具です。

あなたの「ついつい手が伸びてしまう茶器」は、どんなものでしょうか?

* 気兼ねなく使える
* 使いやすい形状や重量感
* お手入れが楽で清潔を保ちやすい
* タフで長く使える
* それでいて、美味しいお茶が淹れられる

おそらく、そのどれもを満たす茶器・茶具が、手元に残っていくのではないでしょうか。

▼見た目の美しさは当たり前

ここで誤解してほしくないのは、「美味しいお茶が飲めれば、見た目は二の次」ということではありません。


見た目が美しいのは当たり前


しかし、美味しいお茶が飲めるけれど、佇まいが欠けている茶器・茶具は、我々は選びません。

我々にとって理想の茶器とは──


手にした瞬間から最後の一滴まで、使い手の感覚すべてに寄り添い、日常を少しだけ特別にしてくれる存在です。

次回【後編】では、今回ご紹介する二人の作り手、津田亮さん(ガラス茶器)とGrau(ステンレス茶道具)の作品について詳しく語ります。



8月16日21時のカートオープンに向けて、ぜひお楽しみに。